延岡城址のヤブツバキ

発刊にあたって

延岡城山ヤブツバキを楽しむ会 代表世話人 江藤奈保
 
江藤奈保さん
 宮崎県延岡市は大分県との県境に位置し、東は広く太平洋を臨んでいます。
 延岡市の中心部にある城山公園は、かつての延岡城址(跡)で延岡藩初代城主、高橋元種が慶長8年(1603年)に築城いたしました。その後、有馬、三浦、牧野、内藤氏と城主が代わります。昭和8年の延岡市施行の翌年、延岡城址は延岡藩最後の藩主である内藤政擧公のご子息政道氏から延岡市に寄付されました。
 城山ヤブツバキ群の発生を考えますに、私は頂上の鐘撞堂下の南遊歩道にある樹齢約230年、樹高11mの紅のヤブツバキについては、内藤家が延岡藩主になった延享4年(1747年)以降、文化的教養の高い内藤氏によって植えられたのではないかと推測しております。
 城山ヤブツバキ群が初めて専門的に調査されたのは昭和58年(1983年)で、当時東臼杵農林振興局に勤務していた永友昭夫氏によって行われました。その後も永友氏は県庁に勤務する傍ら城山の調査を続けられました。昭和61年(1986年)、宮崎植物研究会会誌に実態調査を発表し、「ヤブツバキの群生は花色を中心に我が目を疑うばかりの多彩な変異を示していた」と報告されています。永友氏は調査結果を次のようにまとめておられます。「城山全山には野生のヤブツバキが多彩に変異して自生している。この中には園芸品種として高い人気を呼ぶと思われるものがあり、今後さらに変わったものが出る可能性がある。このヤブツバキ群は、全国的にも非常に価値の高いもので、限定された範囲内では、千葉県いすみ市大原、島根県松江市と、この城山公園の3か所しかない。花色は9色、花形は8種類以上もあり、ひとつひとつが違う色形を持っている。」
 永友氏により109個体のヤブツバキが延岡市に報告されました。約3300本が自生し、花の色も白、紅、淡桃、桃、紫紅、濃紅などの単色や、絞り、覆輪、斑入りなどの複色と変化に富んでいます。雄しべの先の葯(やく)の黄色も鮮やかに、先細りの筒しべに一重の花の筒咲きや猪口(ちょく)咲きの花の愛らしさに思わず笑みが浮かんでまいります。
 その中の名品が、一重の淡い桃色で「清雅端正の花」と形容された「延岡」です。昭和58年(1990年)3月に、元日本ツバキ協会名誉会長の桐野秋豊氏が命名発表されました。
 この貴重な延岡市の財産を多くの方に鑑賞していただきたく、平成2年(1990年)3月に「第1回城山ヤブツバキを楽しむ会」を開きました。以来、毎年大勢の方々に参加していただき今年28年を迎えます。この節目に自然の恵みに感謝し、次の時代を担う方々との橋渡しとして「延岡城址のヤブツバキ」を発刊いたしました。
 今、延岡城址城山公園はヤブツバキに代表される自然豊かな憩いの場であり、400年の時の流れの中で、内藤家伝来の能面を使った「天下一薪能」が行われる、延岡に脈々と流れる薫り高い文化を象徴する歴史的空間となっております。様々な方々が力を合わせ、延岡市の自然・歴史・文化を誇り、大切に守り育ててきた成果だと考えます。これからも延岡市民の大切な財産であり続けてほしいと願っております。
 この「延岡城址のヤブツバキ」が多くの皆様に活用され、ツバキの魅力を楽しんでいただきたく一助になればと願っております。
 結びに、これまで「延岡城山ヤブツバキを楽しむ会」の世話人の皆様とかけがえのない交流を続けることができましたことに深く感謝申し上げます。
 また、今回の発刊にあたりましては、桐野秋豊氏、永友昭夫氏の両氏並びに本の装丁、レイアウトなど造本全般にわたってご指導ご協力いただきました太田徹也様に深く感謝申し上げます。さらに世話人の甲斐修二さん、斎藤宗男さん(写真撮影)、田中文晴さん、中村慎二さんの4名の皆様には並々ならぬご尽力をいただきました。ここに深く感謝申し上げます。
(故)江藤勝年司氏イラストのツバキ